会津八一
外观
日语写法 | |
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日语原文 | 会津 八一 |
假名 | あいづ やいち |
平文式罗马字 | Aizu Yaichi |
会津八一(1881年8月1日—1956年11月21日),号秋草道人,日本诗人、书法家与历史学家。
会津八一出生于日本新潟县新潟市,为东京早稻田大学名誉教授,他的研究重点为日本飞鸟时代与奈良时代的佛教艺术。
1926年,会津八一提议在早稻田大学设置美术史博物馆,后来收集了大量的作品。
著作
[编辑]- 研究 上
- 研究 中
- 研究 下
- 短歌 上
- 短歌 下
- 俳句・俳论
- 随笔
- 书简 上
- 书简 中
- 书简 下
- 日记・初期文章・雑纂
- 雑纂ほか 书志/年谱・索引
歌集
[编辑]- ‘会津八一全歌集’(中央公论社、新版1986年)
- ‘自注 鹿鸣集’[3](新潮文库、1969年、解说宫川寅雄/岩波文库、1998年、解说植田重雄)
- ‘鹿鸣集 歌集’(短歌新闻社文库、1995年)
- 吉野秀雄 ‘鹿鸣集歌解’(中公文库、1981年)[4]
- 原田清 ‘会津八一 鹿鸣集评釈’(东京堂出版、1998年)[5]
- ‘会津八一 寒灯集评釈’(东京堂出版、2001年)
- ‘会津八一 山光集评釈’(东京堂出版、2002年)
- 村尾诚一‘会津八一 奈良大和を爱し、古寺巡礼の歌を咏う’(“コレクション日本歌人选068”笠间书院、2019年)
手纸・书
[编辑]- ‘秋艸道人会津八一书简集’(植田重雄[6] 编著、恒文社 1991年)
- ‘会津八一の般若心経’(八吾の会 2008年)
- ‘会津八一の絵手纸’(小池邦夫编 二玄社 2003年)、図版本
- ‘秋艸道人会津八一墨迹’ 新潟市立会津八一记念馆编
- 図版本の大著でかな、汉字、书简・原稿の全3册 (二玄社 2002年)
- ‘会津八一とゆかりの地 歌と书の世界’(和光慧编著[7]、二玄社 2000年)
- ‘会津八一题签录’(高桥文彦・财前谦编、武蔵野书院 2005年)
脚注
[编辑]- ^ ‘全集’旧版は全10巻、1950年代・60年代・70年代の各后半に刊行した。
- ^ 大桥一章 ‘会津八一’(中公丛书、2015年)がある。
- ^ 1960年に中央公论社で、1965年に中央公论美术出版で、各・改订刊行。
- ^ ‘秋艸道人会津八一’(春秋社 2册组、1980年、新版1993年)に収录。両者の评伝に伊丹末雄‘会津八一と吉野秀雄’(青简舎、2011年)。なお春秋社では、喜多上‘会津八一の歌境’(1993年)ほか数册が刊行。
- ^ 各・作品とも、八一自身の仮名表记“歌集”を、汉字かな混りに改め、详しい注と鉴赏を施す试みを行った。著者による研究は‘会津八一 人生と芸术’(砂子屋书房、2004年、第3回日本歌人クラブ评论赏受赏)、および‘私说会津八一’(近代文芸社、1996年)がある。
- ^ 编者の植田重雄は会津の门下生。会津関连の著作に‘秋艸道人会津八一の学芸’(清流出版 2005年)、‘秋艸道人会津八一の生涯’と‘秋艸道人会津八一の芸术’(いずれも恒文社)がある。
- ^ 和光慧‘定本 会津八一の名歌 古都奈良の诗情’(和泉书院、1998年)がある。また二玄社で、‘会津八一と奈良 歌と书の世界’(西世古柳平解说、写真入江泰吉、1992年)がある。
外部链接
[编辑]早稻田大学会津博物馆 (页面存档备份,存于互联网档案馆)