葛飾北齋
葛飾北齋 | |
---|---|
出生 | 時太郎 1760年10月31日 日本武藏國葛飾郡本所割下水 |
逝世 | 1849年5月10日 日本江戶 | (88歲)
知名於 | 浮世繪、版畫、水墨畫、插畫 |
知名作品 | 《富嶽三十六景》 《北齋漫畫》 《章魚與海女圖》 |
簽名 | |
日語寫法 | |
---|---|
日語原文 | 葛飾 北斎 |
假名 | かつしか ほくさい |
平文式羅馬字 | Katsushika Hokusai |
日語舊字體 | 葛飾 北齋 |
葛飾北齋( 日語:葛飾 北斎/かつしか ほくさい Katsushika Hokusai 1760年10月31日—1849年5月10日),本名時太郎 / ときたろう Tokitarou、鐵藏 / てつぞう Tetsuzou,日本江戶城人(今日本東京),江戶時代末期浮世繪大師,化政文化代表人物。葛飾北齋多才多藝,作品涉獵版畫、水墨、染畫、圖書插畫等,其中以浮世繪《富嶽三十六景》以及出版幅度達六十四年的《北齋漫畫》為其最具代表性的作品。[1][2]
生平
[編輯]寶曆十年(1760年)九月廿三,葛飾北齋出生於江戶城墨田河東岸本所割下水(武藏國葛飾郡[3]),原為一平民,初名時太郎(ときたろう Tokitarou),後由幕府磨鏡師中島伊勢收養,童年便在中島家成長。根據北齋在《富嶽三十六景》的自述中,他自六歲起便鍾愛描繪各種事物。[1][2]:42、48
北齋青少年時期改名鐵藏(てつぞう Tetsuzou),進入租書鋪擔任信使,期間學習大量筆劃繁複的漢字,奠下良好的學問基礎。14歲時進入版畫印刷社擔任學徒,19歲時已是卓越的雕師。這段經歷對日後北齋自立門戶後,在和出版商的雕刻師、版畫師進行合作過程中,大有裨益。[1]:116[2]:48
春朗時期
[編輯]安永七年(1778年),北齋從印刷社辭職,改拜入繪師勝川春章門下習藝。勝川春章是以繪畫歌舞伎演員的浮世繪聞名的繪師,被譽為「役者繪」泰斗,門生皆以春字為畫號,知名弟子有春好、春英、春潮等,形成「勝川派」。[2]:48-49
安永八年(1779年),北齋在拜入勝川門下僅一年時間,便以「春朗(しゅんろう)」為名出道,除了春字沿襲勝川春章畫號外,連朗字亦是取自勝川春章別號「旭朗井」,可見北齋十分得到師父勝川春章的器重。[2]
北齋自 20 歲至 35 歲期間,皆以「春朗」為畫號,作品題材包含役者繪、美人畫、黃表紙,這段時期長達 16 年,優秀的畫作不多,風格尚不成熟,可見作品《目黑之比翼塚》。[2][1]:121寬政六年(1794年)北齋離開「勝川派」,原因不詳,一般推論係因勝川春章過世之後,北齋與師兄春好相處不睦之故[2]:49-50;同年,北齋第一任妻子過世,遺留三名孩子。不久之後又續弦,展開另一段婚姻。[1]:124
宗理時期
[編輯]寬政七年(1795年),北齋承襲「俵屋派」畫號「宗理」,一度自稱「北齋宗理(ほくさい そうり)」,發表作品維生。「俵屋派」指擅長裝飾畫之畫派,當時在江戶戮力復興之路,又被稱作「琳派」。但北齋以「宗理(そうり)」為名之後發表的作品,不但沒有延續原勝川派役者繪的委託案,也沒有發表琳派相關的作品,反而專注於狂歌繪本、印刷摺物等單品。據聞北齋在離開勝川派後,雖然在俵屋派創作,並不囿於門戶所限,也不斷從狩野派、土佐派、中國國畫,甚至是西洋繪畫(如模仿司馬江漢,1747年-1818 年)中師法各式繪圖技巧,並也投入起風景畫創作中。此一時期代表作有版畫《柳之絲》、《江島春望》等。[1]:124[2]:50-52
寬政十年(1798年),北齋離開俵屋一派,也將「宗理」之名讓予門生宗二,自此自立門戶,進入獨立創作時期。[2]:52
北齋時期
[編輯]寬政十年(1798年),獨立門戶的北齋畫號改作「北齋辰政(ほくさい ときまさ)」,在文化二年(1805年),46 歲的北齋在畫號之前增添畫姓「葛飾(かつしか )」,正式自稱「葛飾北齋」。只是,北齋一生改過三十餘次的畫號,正式使用「葛飾北齋」的時間只到文化七年(1810年),同年又再度改號。[2]:45、54-58
北齋在「北齋時期」專注於「讀本」插畫,「讀本」即指長篇小說,畫師本身也需要豐富的文字學養,和讀本內容相應,代表作有和讀本作家瀧澤馬琴合作《椿說弓張月》、《新編水滸畫傳》等,這段期間北齋約畫了近兩百冊的讀本插畫,統計張數高達一千四百幅,並確立北齋長久不衰的人氣基礎。[2]:55-57
此外,北齋也開始將歐洲透視法應用於風景畫作之中,並獲得不小的迴響,代表作版畫《江之島和富士山》、《荷蘭畫境:江戶八景》以及《西式風景圖》等,日後聞名世界的《神奈川沖浪裏》便在此一時期窺見鋪陳。[1]:125-126
戴斗時期
[編輯]文化七年(1810年),51 歲的北齋更名為「戴斗(たいと)」,此畫號約莫使用十年,北齋在此一時期投入「繪本」,「繪本」即指習畫指南書。[2]:58-59文化九年(1812年),北齋移居至名古屋,並在此首度發表對後世影響深遠的作品-《北齋漫畫》。《北齋漫畫》總計十五冊,第一冊於文化11年(1814年)發行,《北齋漫畫》內容包羅萬象,手繪人類、建築、動物、植物、山川、科技百態,發行年份極長,直到北齋逝世那一年還持續繪製最後兩冊,直到今日仍是各國收藏家趨之若鶩的珍品。[1]:128-130
戴斗時期的北齋除了創作《北齋漫畫》,其他知名作品包括《津日之雛形》、《浪千鳥祕畫集》、《玉葛》、《萬福和合神》,也發行過春畫《喜能會之故真通》,版畫《老虎滿月竹》、《鬼島上的源為朝》、《婦人》等。綜觀戴斗時期作品,數量雖然不是最多,但整體技藝已趨於成熟階段,也創作出不少令人津津樂道的作品。文政三年(1819年),北齋年滿六十,歷經一甲子輪迴,北齋再度決意捨棄「戴斗」之名,傳予弟子北泉(活躍於1810年-1853年),新取畫號「為一」,象徵自己邁向新的旅程。[1]:130-134
為一時期
[編輯]畫號「為一(いいつ)」即「成為一」之意,大有回歸繪畫初衷之寓意,北齋此一時期非常專注「浮世繪」創作。
2000年,美國雜誌《生活》把葛飾北斎列入「百位世界千禧名人」,贊揚他一生都在力求進步,想辦法讓自己的畫更加完美的精神。雖然一生中作了無數的名畫,名聲響亮,葛飾大師卻是一個謙卑踏實的人。在他74歲那年,葛飾惋惜自己缺乏繪畫天賦。在《富嶽百景·初編》裡,他說:「說實在的,我70歲之前所畫過的東西都不怎麼樣,也不值得一提。我想,我還得繼續努力,才能在100歲的時候畫出一些比較了不起的東西。」
遺憾的是,葛飾大師沒活過百歲。臨死前,他感歎地說:
“ | 我多麼希望自己還能再活多五年,這樣子我才有時間嘗試成為一個真正的畫家 天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし。 |
” |
年表
[編輯]- 寶曆10年9月23日?(1760年10月31日?),葛飾北齋生於武藏國葛飾郡本所割下水一貧農家庭。姓川村氏、幼名時太郎(ときたろう)、後稱鐵藏(てつぞう),通稱中島八右衛門。
- 明和元年(1764年),成為幕府御用磨鏡師中島伊勢的養子,但中島伊勢後來令其親生兒子繼承家業,北齋因此不久離開。之後,他陸續做過租書店的夥計、木版雕刻師的學徒,並回到原本的家族。同時,北齋對繪畫藝術產生興趣。
- 安永7年(1778年),在浮世繪師勝川春章門下學習。同時學習狩野派唐繪、西洋畫法,創作名所繪、役者繪,為黃表紙作插畫。此時號「春朗(しゅんろう)」。
- 安永8年(1779年),役者繪作品《瀬川菊之丞 正宗娘おれん》出版。
- 寬政6年(1794年),被趕出 勝川派師門。
- 寬政7年(1795年),號「北齋宗理」。
- 寬政10年(1798年),將「宗理」之號賜予門人琳斎宗二。自號北齋、可侯(かこう)、辰政(ときまさ)。
- 享和2年(1802年),狂歌繪本《畫本東都遊》開始刊行。
- 文化2年(1805年),始號葛飾北齋。
- 文化7年(1810年),號戴斗(たいと)。
- 文化9年(1812年)秋,在名古屋牧墨僊府邸逗留。之後前往關西(大坂、和州吉野、紀州、伊勢等地)旅行。
- 文化11年(1814年),《北齋漫畫》初編發刊。
- 文化14年(1817年)春,在名古屋停留。10月5日,在名古屋西掛所(西本願寺別院)境內創作120畳大達摩半身像。年底,前往大坂、伊勢、紀州、吉野等地旅行。此時,大坂春好斎北洲成為北齋門人。
- 文政3年(1820年),號為一(いいつ)。
- 《富嶽三十六景》初版於文政6年(1823年)開始製作,天保2年(1831年)開版,1833年完結。
- 天保5年(1834年),號畫狂老人(がきょうろうじん)、卍(まんじ)。創作《富嶽百景》。
- 天保13年(1842年)秋,首次到信濃國高井郡小布施的高井鴻山府邸拜訪。此時,鴻山建自宅「碧漪軒」,厚遇北齋。
- 天保15年(1844年),於信濃國高井郡小布施旅行,停留到嘉永元年(1848年)。創作《怒濤圖》。
- 嘉永2年4月18日(1849年5月10日),在江戶淺草聖天町遍照院(淺草寺支寺院)內的臨時居所逝世。享年88歲。
辭世之句為「人魂で 行く氣散じや 夏野原」。法名為南牕院奇譽北齋居士。
插畫家的一面
[編輯]葛飾北齋同時也是一位插畫家。他為當時的黃表紙和灑落本(讀本)等許多戲作創作了插圖,但他因為沒有按照作者所提出的而設計,經常與作者們發生衝突。《近世怪談霜夜之星》《椿説弓張月》等作品的出版使「葛飾北齋」這一名字與作者曲亭馬琴一起聞名天下。此外,此時的葛飾北齋暫住在曲亭馬琴家中。
葛飾北齋還十分喜愛中國小說《西遊記》《水滸傳》。為了把中國小說介紹給日本人民,他在創作浮世繪的同時,還親自為中國小說繪製了大量插圖,印成《繪本西遊記》《新編水滸畫傳》等。
改號
[編輯]北齋一生改號頻繁多達30回。使用的號有「春朗」「群馬亭」「北齋」「宗理」「可侯」「辰齋」「辰政(ときまさ)」「百琳」「畫狂人」「雷斗」「戴斗」「不染居」「錦袋舎」「為一」「九々蜃」「雷辰」「畫狂老人」「天狗堂熱鐵」「鏡裏庵梅年」「月痴老人」「卍」「是和齋」「三浦屋八右衛門」「百姓八右衛門」「土持仁三郎」「魚佛」「穿山甲」等。
家庭
[編輯]- 長女:お美與 - 與北齋的門人柳川重信結婚,後離婚。
- 長男:富之助
- 次女:お辰(またはお鉄)
- 次男:崎十郎
- 三女:お榮(葛飾應為) - 與畫師南澤等明結婚,後離婚。北斎的助手,同時也是浮世繪師。
- 四女:お猶
他人評價
[編輯]魯迅先生在1934年給日本友人山本初枝的書筒里寫道:「關於日本的浮世繪師,我年輕時喜歡的是北齋,現在則喜歡廣重,其次則為歌麿的人物。」接着他又說,「不過依我看,適合中國人一般眼光的,恐怕還是北齋。」由此可見魯迅先生對北齋的浮世繪的認可。
作品
[編輯]早年風景畫、春畫、奇想畫等浮世繪類型多樣。晩年多作肉筆畫。
主要作品
[編輯]錦絵
[編輯]- 「かしく 岩井半四郎」 細判、安永8年(1779年) 「勝川春朗畫」落款 ※錦絵デビュー作Template:要出典 中右瑛コレクション所蔵
- 「正宗おれん 瀬川菊之丞」 細判、安永8年(1779年) 「勝川春朗畫」落款 東京國立博物館所蔵
- 「ふく清女ぼう 中村里好」 細判、安永8年(1779年) 「勝川春朗畫」落款 東京國立博物館所蔵
- 「佐武多良嘉寸見(さむたらかすみ)」 間判、寛政9年 宗理期の狂歌本挿絵、富士山の見える山地にある木地師の職場を描く。
- 「よつや十二そう」 中判、寛政末~享和頃 東京國立博物館所蔵 洋風のひらがな落款作品。
- 「鷽 垂桜」 中判、天保5年頃 東京國立博物館所蔵 藍摺の花鳥畫10枚揃の內。
- 「風流無くてななくせ 遠眼鏡」大判、享和頃 山繰り県立萩美術館・浦上記念館所蔵
- 「東海道五拾三次(狂歌入り東海道)」 摺物全59枚、文化元年
- 「おしをくりはとうつうせんのづ」 橫中判、文化3年~文化5年頃 個人所蔵 洋風のひらがな落款作品。
- 「百物語 こはだ小平二」中判、天保2年頃 中右コレクション所蔵
- 「風流おどけ百句ばばさまのこごと」 小判、文化末頃 名古屋テレビ放送所蔵
- 「芥子(けし)」 橫大判、天保3年頃 墨田區所蔵
- 「群鶏」 団扇絵、天保4年頃 東京國立博物館所蔵
- 「市川鰕蔵の山賊実は文覚上人」 細判、寛政3年 東京國立博物館所蔵 春朗期。
- 「くだんうしがふち」 橫中判、寛政末~文化 洋風のひらがな落款作品。
- 「富嶽三十六景」 橫大判46枚揃、天保2年~天保5年
- 「琉球八景」 橫大判8枚揃、天保3年
- 「諸國滝廻り」 大判8枚揃、天保4年
- 「千絵の海」 橫中判10枚揃、天保4年頃
- 「諸國名橋奇覧」 橫大判11枚揃、天保4年~天保5年頃
- 「詩歌寫真鏡」 長大判10枚揃、天保4年~天保5年
- 「百人一首うばがゑとき」 橫大判揃物、天保6年~天保7年頃
北齋漫畫
[編輯]全15篇。約4千幅圖,彩色摺繪本。文化11年(1814年),北齋54歲(畫號為戴斗)時首版。作為學習繪畫的典範教材,在當時大受好評。其中包括市井百態、山水鳥獸、鬼臉妖怪等,甚至是西方遠近法都有涉及。
百物語
[編輯]-
小幡小平次
-
提燈お化け
-
1. 江戶日本橋
-
2. 江都駿河町三井見世略圖
-
3. 東都駿臺
-
4. 東都淺艸本願寺
-
5. 本所立川
-
6. 深川萬年橋下
-
7. 五百羅漢寺榮螺堂
-
8. 青山圓座枩
-
9. 隠田の水車
-
10. 下目黒
-
11. 礫川雪ノ旦
-
12. 御廄川岸より兩國橋夕陽見
-
13. 隅田川關屋の里
-
14. 武州千住
-
15. 従千住花街眺望ノ不二
-
16. 武陽佃嶌
-
17. 上總ノ海路
-
18. 登戶浦
-
19. 常州牛掘
-
20. 東海道品川御殿山ノ不二
-
21. 神奈川沖浪裏
-
22. 武州玉川
-
23. 東海道程ケ谷
-
24. 相州七里濵
-
25. 相州江の嶌
-
26. 相州仲原
-
27. 相州梅澤左
-
28. 相州箱根湖水
-
29. 甲州三嶌越
-
30. 駿州片倉茶園ノ不二
-
31. 駿州大野新田
-
32. 山下白雨
-
33. 凱風快晴
-
34. 諸人登山
-
35. 駿州江尻
-
36. 東海道江尻田子の浦略圖
-
37. 東海道金谷ノ不二
-
38. 遠江山中
-
39. 東海道吉田
-
40. 尾州不二見原
-
41. 甲州犬目峠
-
42. 甲州三坂水面
-
43. 甲州伊澤曉
-
44. 信州諏訪湖
-
45. 甲州石班澤
-
46. 身延川裏不二
諸國名橋奇覽
[編輯]以全國名橋為題材,全11圖,錦繪。天保4-5年(1833年- 1834年),落款前北齋為一筆。畫中描繪的橋多是真實存在的,但也包含着傳說中的橋。
-
足利行道山くものかけはし
-
ゑちぜんふくゐの橋
-
飛越の堺つりはし
-
かめゐど天神たいこはし
-
かうつけ佐野ふなはしの古づ
-
三河の八ツ橋の古圖
-
攝洲阿治川口天保山
-
攝洲天滿橋
-
すほうの國きんたいはし
-
東海道岡崎矢はぎのはし
-
山城あらし山吐月橋
(やましろあらしやまとげつきょう)
肉筆畫帖
[編輯]-
鷹
富嶽百景
[編輯]肉筆浮世繪
[編輯]- 「化粧美人圖」 絹本着色 城西大學水田美術館所藏
- 「鯉與龜圖」 紙本着色 埼玉縣立博物館所藏
- 「漢武人一人立圖 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)」 絹本着色 東京國立博物館所藏
- 「獅子圖屏風 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)」 紙本着色 2曲1雙 東京國立博物館所藏
- 「七面大明神應現圖」 紙本着色 茨城・妙光寺所藏 東京國立博物館寄託
- 「西瓜圖」 絹本着色 三の丸尚藏館所藏 天保10年(1839年) 明治維新前から皇室のコレクションに入っており、光格天皇遺愛の品與言われる。
- 「月下步行美人圖」 紙本着色 出光美術館所藏 山東京伝賛
- 「春秋美人圖」 絹本着色 雙幅 出光美術館所藏
- 「風俗三美人圖」 紙本着色 3幅對 浮世繪太田記念美術館所藏
- 「源氏物語圖」 絹本着色 浮世繪太田記念美術館所藏
- 「茶摘み圖」 絹本着色 浮世繪太田記念美術館所藏
- 「見立三番叟圖」 紙本着色 3幅対 浮世繪太田記念美術館所藏
- 「雨中の虎圖」 紙本着色 浮世繪太田記念美術館所藏
- 「ほ與與ぎす虹圖」 紙本着色 New Otani Art Museum所藏
- 「蚊帳美人圖」 落款判読不能 絹本着色 ニューオータニ美術館所藏(傳葛飾北齋筆)
- 「辯慶圖」 無款 絹本着色 New Otani Art Museum所藏(傳葛飾北齋筆) 扇子に「北□」の書込みあり
- 「鬼は外圖」 無款 紙本着色 New Otani Art Museum所藏(傳葛飾北齋筆)
- 「十六羅漢圖」 無款 紙本着色 New Otani Art Museum所藏(傳葛飾北齋筆)
- 「醉餘美人圖」 絹本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「若眾文案圖」 絹本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「雪中張飛圖」 絹本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「見立兒島高徳圖」 絹本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「壽布袋圖」 紙本淡彩 鎌倉國寶館所藏
- 「阿耨醉餘美人音圖」 紙本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「三番叟圖」 紙本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「櫻に鷲圖」 絹本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「鶴圖屏風」 絹本着色 2曲1雙 鎌倉國寶館所藏
- 「春日山鹿圖」 絹本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「蛸圖」 紙本着色 鎌倉國寶館所藏
- 「波に燕圖」 紙本着色 扇面 鎌倉國寶館所藏
- 「小雀を狙う山かがし圖額」 絹本着色 1面 鎌倉國寶館所藏
- 「一枚物各種(いもの葉に蟲圖など)」 紙本着色 11枚 鎌倉國寶館所藏
- 「畫帖(若竹與雀圖他)」 紙本着色 1冊(4枚) 鎌倉國寶館所藏
- 「井手玉川圖」 紙本着色 千葉市美術館所藏
- 「日・龍・月圖)」 紙本着色 3幅対 光記念館所藏
- 「淺妻舟圖」 紙本着色 光記念館所藏
- 「日蓮圖」 紙本着色 光記念館所藏
- 「黃石公張良圖」 紙本着色 日本浮世繪博物館所藏
- 「馬上農夫圖」 紙本着色 日本浮世繪博物館所藏
- 「養老の孝子圖」 絹本着色 日本浮世繪博物館所藏
- 「二美人圖」 絹本着色 MOA美術館所藏 重要文化財
- 「汐干狩圖」 絹本着色 大阪市立美術館所藏 重要文化財
- 「柳下傘持美人圖」 絹本着色 北齋館所藏
- 「八朔太夫圖」 紙本着色 北斎館所藏
- 「夜鷹圖」 紙本淡彩 細見美術館所藏
- 「東方朔與美人圖」 紙本着色 葛飾北齋美術館所藏
- 「來燕歸雁圖」 絹本着色 吉野石膏所藏
- 「狐狸圖」 紙本着色 雙幅 個人所藏
- 「花魁圖」 紙本着色 Minneapolis Institute of Arts所藏
- 「遊女圖」 紙本着色 弗瑞爾藝廊所藏
- 「雷神圖」 弗瑞爾藝廊所藏
- 「雜畫卷」 紙本着色 1巻 弗瑞爾藝廊所藏[4]
- 「五美人圖」 絹本着色 西雅圖藝術博物館所藏
- 「鳳凰圖屏風 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)」 紙本着色 八曲一隻 波士頓美術館所藏
影響
[編輯]- 電影《北齋漫畫》。
- 《Fate/Grand Order》中登場的從者葛飾北齋,作為「Foreigner」的職階登場,人物形象為其女兒葛飾應為,北齋則是在身旁的章魚
- 預定於2024年發行的改版一千日圓紙幣之背面採用《富嶽三十六景》的「神奈川沖浪裏」[5][6]。
另見
[編輯]參考資料
[編輯]- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 莫雷納, 弗朗西斯科. 《浮世繪三傑:喜多川歌麿、葛飾北齋、歌川廣重》 [UKIYO-E Hokusai / Hiroshige / Utamaro]. 袁斐(譯者). 新北市: 漢湘文化. 2020 [2007]. ISBN 9789862255261 (中文(臺灣)).
- ^ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 浦上, 滿. 《《北齋漫畫》與狂人畫家的一生:從莫內到手塚治虫,引領全世界畫壇的繪畫技法聖經》. 張懷文、大原千廣(譯者). 新北市: 遠足文化. 2019. ISBN 9789865080198 (中文(臺灣)).
- ^ 〈北齋介紹〉. 墨田北齋美術館. [2021-09-16]. 原始內容存檔於2022-08-09 (中文(臺灣)).
- ^ フリーア美術館には他にも北斎肉筆畫與される作品が多くあるが、これらは北斎の真筆に比べる與、どこ與なく「ドライ」な畫風で、筆勢の力強さが遙かに劣っており、華やかさも創造的な面白さもなく、凝縮力のある劇的な観點に欠ける與して、これらを贋作與する意見もある(リチャード・レイン『伝記畫集 北斎』 291-292頁)。
- ^ 新1万円札「渋沢栄一」紙幣デザインを発表 5年後めど発行. NHK. 2019-04-09 [2019-04-09]. (原始內容存檔於2019-05-02) (日語).
- ^ 日將全面更換紙鈔 防偽升級「偉人」換人當. 蘋果日報. 2019-04-09 [2019-04-09]. (原始內容存檔於2020-06-15).
參考文獻
[編輯]- 史料
- 単書
- 畫集
- 福田和彥 『秘版北斎 草紙本浮世絵名品選』 芳賀書店、1975年
- 『小針コレクション 肉筆浮世絵』(第五巻) 那須ロイヤル美術館、1989年
- 永田生慈監修 『北斎美術館』全5巻 集英社、1990年
- リチャード・レイン 『伝記畫集 北斎』 河出書房新社、1995年
- 永田生慈編集 『北斎肉筆畫大成』 小學館、2000年 ISBN 4-09-699581-9
- 永田生慈監修『北斎畫本早引』東京美術、2011年。
- 展覧會図録
- 日本経済新聞社編 『北斎展 HOKUSAI』 日本経済新聞社、2005年
- 公益財団法人 氏家浮世絵コレクション編集・発行 『氏家浮世絵コレクション』 2014年。
- 名古屋市博物館 編『北斎だるせん!』、2017年。
- あべのハルカス美術館 編『北斎 富士を超えて』、2017年。大英博物館 からの巡迴展。
・葛飾美術館編「北斎 知られざる日本の面影」、2017年
- 概説書・事典類
- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版畫店、1931年 ※國立國會図書館デジタルコレクションに本文あり。135 - 136コマ目。
- 藤懸靜也 『増訂浮世絵』 雄山閣、1946年、230-236頁 (近代デジタルライブラリー)
- 日本浮世絵協會編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年 ※90頁
- 吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年
- 稲垣進一編 『図説浮世絵入門』〈『ふくろうの本』〉 河出書房新社、1990年
- 小林忠監修 『浮世絵師列伝』 平凡社<別冊太陽>、2006年1月 ISBN 978-4-5829-4493-8
- 書籍
- 楢崎宗重 『北斎 原色寫真文庫』講談社、1967年
- 林美一 『艶本研究 北斎』 有光書房、1968年
- 尾崎周道 『北斎 ある畫狂人の生涯』日本経済新聞社「日経新書」 1968年
- 福本和夫 『北斎と近代絵畫』 フジ出版社、1968年
- 安田剛蔵 『畫狂北斎』 有光書房、1971年
- 小林太市郎 『北斎とドガ』 全國書房、1971年
- 瀬木慎一 『畫狂人北斎』 講談社現代新書、1973年
- 矢代靜一 『畫狂人・北斎考』 PHP研究所、1981年
- 桂木寛子 『葛飾北斎 世界の伝記』 ぎょうせい、1981年、新版1995年
- 福田和彥 『北斎-華麗なるエロス』 実業之日本社、1984年
- 永田生慈 『葛飾北斎年譜』 三彩新社、1985年
- 林美一ほか 『北斎漫畫と春畫』新潮社〈とんぼの本〉、1989年
- 中村英樹 『北斎萬華鏡 ポリフォニー的主體へ』 美術出版社、1990年
- 永田生慈 『北斎 世界を魅了した絵本』 三彩社、1991年
- 荒井勉 『新訳・北斎伝 世界に挑んだ絵師』 信濃毎日新聞社、1998年
- 諏訪春雄 『北斎の謎を解く 生活・芸術・信仰』 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、2001年
- 京極夏彥、多田克己、久保田一洋 『北斎妖怪百景』 國書刊行會、2004年
- 內田千鶴子 『宇宙をめざした北斎』 日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉、2011年
- 大久保純一 『北斎 ジャパノロジー・コレクション』 角川ソフィア文庫、2016年
- 內藤正人 『北斎への招待』 朝日新聞出版、2017年
- 永田生慈 『葛飾北斎の本懐』 角川選書、2017年
- 日野原健司解説 『北斎 富嶽三十六景』 岩波文庫、2019年
- エドモン・ド・ゴンクール『北斎 十八世紀の日本美術』 隠岐由紀子訳 平凡社東洋文庫、2019年
外部連結
[編輯]- Hokusai's works at Tokyo Digital Museum (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)
- Site with almost 3000 high-quality images of Hokusai prints
- The Metropolitan Museum of Art's (New York) entry on "The Great Wave at Kanagawa."
- Hokusai-Museum in Obuse, Japan (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)
- Katsushika Hokusai at Hill-Stead Museum, Farmington Connecticut (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)
- Good images of his manga etc (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)
- Over 1500 images of Hokusai prints at the Museum of Fine Arts, Boston[失效連結]
- (法文) 藝術家傳記 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)
- 公共施設のウェブサイト
- 絵本の世界(內、葛飾北斎) (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館) - 山口県立萩美術館・浦上記念館公式ウェブサイト內資料。自然色で閲覧可能。ページごとの拡大閲覧も可能である。
- すみだ北斎美術館 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館) 墨田區開設
- 北斎展 - 東京國立博物館 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館) - 參考として、展覧會の作品リスト。
- 個人その他のウェブサイト
- 葛飾北斎 - 記念切手 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館) - 世界の人々が北斎畫に何を見ているかは記念切手で確かめることもできる。
- 葛飾北斎 - Google Arts & Culture (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)
- 互聯網檔案館中Katsushika Hokusai的作品或與之相關的作品